20枚シナリオ『一年間』
『それが生きるってもんだ』
☆人物
岡本 玄介(68)末期がんの経営者
岡本 唄介(33)岡本の一人息子
岡本 冴枝(60)岡本の妻
巻島 正二(42)岡本の主治医
灰島 道夫(55)金融屋の社長
○××総合病院の前の道路
銀杏並木が黄色く色づいている。
○××総合病院・消化器科の診察室
岡本玄介(68)と妻の冴枝(60)、消化器科の医者、
巻島正二(42)が向かい合って座っている。
岡本はうなだれて首を下げている。
巻島「…膵臓がんは発見されにくい癌でして、進行が進んだ段階で医者にかかられる患者さんが多いんです…とても残念ですが…」
岡本はゆっくり顔をあげる。
岡本「…末期ってことは…あと、何か月持つんですかね」
冴枝、はっとして、巻島に詰め寄る。
冴枝「せ、先生、化学療法とか放射線治療とか、何か手立てはありますよね。ねえ、先生」
巻島「…岡本さんの癌のステージでは手術をしても難しいので、岡本さんの希望をお聞きしながら、治療の方向性を決めて…」
岡本「(さえぎって)先生、いいんです。あと何か月か、はっきり言ってくださいよ!」
巻島「…4か月。た、ただし、病状が悪化しなければ、ですが」
岡本「…」
岡本、膝の上の拳を握り締める。
○雑居ビル・灰島のオフィス
柄の悪そうな社員数人がデスクに向かって、電話をかけている。
応接間のソファに足を広げて座っているのは、灰島道夫(55)、
その向かいには、ちぢこまっている岡本唄介(33)。
灰島「二千万、返済期限が来週になっちゃいましたねぇ…そろそろ金の目途をつけてくれなきゃあ困るんですけどねえ…あてはあるんでしょう?」
唄介「な、なんとかしますから…頼みますから店だけは…」
灰島は胸元から一枚の写真を取り出し、唄介に見せる。
写真にはスーツ姿の岡本が社用車から出てくるところが写されている。
唄介、写真を灰島から奪い取る。
灰島「お父様ですよねえ、立派な会社を経営してなさる…。今度お顔を拝見しに伺いに
いってもいいですかねえ?」
唄介「父とは絶縁しています…それに、僕のために金を支払いはしませんよ。…私が何とかしますから…」
唄介、頭を深く下げる。
灰島は意地悪く笑う。
灰島「かじれる脛はかじっておかないと」
○小さなレストラン・外観(夜)
窓のカーテンの隙間から明かりがもれている。
○同・店内(夜)
片づけられた机と椅子。
唄介は椅子にこしかけ、頭を抱えている。
唄介はテーブルに置いてある携帯電話を手に取り、電話をかける。
唄介「…あ、母さん。…久しぶり。…え、ど、どうしたの?」
○岡本家・玄関・内外(朝)
冴枝が玄関のほうに小走りに走っていき、ドアを開ける。
玄関の外に、唄介が下を向いて立っている。
冴枝「さ、入って。お父さんに会うでしょ?」
唄介「…いや、母さんの顔見にきただけだけ…
俺、当面、海外に行く。パスポート取りにきた」
唄介は自分の部屋に向かう。
冴枝はその後ろ姿を悲しい顔で見る。
○土手(夕方)
岡本が土手の階段に腰かけて、ぼーっとしている。
灰島「岡本玄介さんですね」
岡本が振り返ると、灰島が立っている。
岡本「…どうして私の名前を…」
灰島「二千万。息子さんが踏み倒して海外逃亡なさいましたよ」
岡本「…いま、なんと…」
灰島は煙草に火をつけ、にたりと笑う。
○××総合病院・消化器科の診察室
巻島のデスクに十二月のカレンダー。
巻島と岡本が向かい合って座っている。
岡本は目をぎらぎらさせている。
巻島「…4か月とおみたてした手前いいづらいのですが、…好転なさってますね」
岡本「…死ねなくなってしまったんですよ…毎日金策に追われていて…」
岡本は深い溜息をつく。
巻島「…息子さんから連絡は…」
岡本は首を横に振る。
岡本「(ぼそっと)あと、五百万…」
○おんぼろの木造アパートの一室(夕方)
岡本、くたくたになって帰宅する。
岡本「…はあ、金の切れ目が縁の切れ目とはいうが、あの態度は何だ…」
台所に倒れている冴枝に気が付く岡本。
岡本「おい、母さん、おい!」
冴枝はぐったりとしている。
○雑居ビル・灰島のオフィス(夜)
灰島が電話に出る。
灰島「これはこれは。…はい、…それは。大変でしたね…はいはい。私も鬼じゃないですからね、それは待ちましょう。はい」
灰島は電話を切り、考え込む。
○丘の上の墓地
丘の上の桜が満開に咲いている。
墓石の前で手を合わせている岡本。
岡本「…癌で死ぬはずだった俺が生き延びて、健康そのものだった
お前が先にいくなんてな…」
灰島がやってくる。
灰島「…岡本さん、お元気そうですね」
岡本「皮肉ですか…ははは、灰島さんの取り立てから解放されましたしね」
灰島は岡本の隣に来て、墓石に向かって手をあわせる。
灰島「…私には息子がおりましてね」
岡本は顔をあげる。
灰島「5歳で事故で亡くなりました。…妻とも離婚して、私は金貸し屋になりましてねえ。親を残して先に死ぬのは親不孝といいますが、岡本さんの息子さんは生きているかどうかも分からない、親の墓にも来ない…とんだ親不孝者。ですよね」
岡本「子供の尻をふくのが親の務めとは思っていますが…」
灰島「…ふける尻があるほうが幸せ…なんですかねえ」
灰島は岡本に軽く頭を下げると、その場を後にする。
岡本は墓石に向きなおる。
岡本「あいつはずっとそうだったよな、母さん。子供のころから親を泣かせる子供だった…」
○××総合病院・消化器科の診察室
巻島が患者と話している。
巻島「…不思議なこともあるもので、とある末期の癌患者さんがね、余命をどんどん延長されているんですよ…何が起こるかわからないものですね」
巻島、立ち上がって窓を開ける。
蝉の声が急に大きくなり、風がそん札室を吹きぬける。
巻島「さあ、治療の話に移りましょうか」
○雑居ビル・灰島のオフィス(夜)
灰島がデスクで書類の整理をしていると、ドアのノックの音がする。
灰島「…誰だ、こんな時間に」
唄介がそろりとドアを開ける。
灰島「…ご無沙汰ですねえ」
唄介「大変遅くなりましたが…二千万をお返しに参りました」
唄介は鞄から二千万の札束を取り出す。
灰島は金に目をくれず、唄介を睨む。
灰島「どこにいた…何をしていた。どうして逃げた」
唄介「…なんとかしたじゃないですか、遅くなりましたけど、ほら、ここに」
灰島「…これは…受け取れませんねえ。半年前にお支払いいただいて
いますから」
唄介「…え…まさか」
唄介は二千万円に目を落とす。
○土手
土手の階段に腰かけている岡本。
唄介が岡本を見つけ、近づいてくる。
岡本、気配を感じて振り向く。
岡本「…おぉ。元気…そうだな」
唄介「…」
岡本「…母さんがな、お前のことをずっと心配していたぞ」
唄介「昔からずっと優しかった…」
岡本「なあ、唄介。不思議だなあ。世話が焼ける息子を持つと長生きになる…」
唄介はその場に崩れ落ちる。
唄介「…ごめん、ごめん…ごめん」
岡本、唄介の肩をぽんと叩く。
岡本「…この1年美味いものは何も食べていない…近いうち作りにこい」
唄介、強く頷く。
岡本「母さんも喜ぶぞ」
岡本、夏の青い空を仰ぐ。