シナリオ☆おひとり雑技団

過去のシナリオ置き場です。無断転載はお断りしています。感想などはどんどん受付けています。

恋愛ドラマアプリシナリオ 『ほろ苦リップス~永遠の恋人』

【1】

○山手線・外回り・車内(朝)

私は、住吉麻里、34歳、彼氏なし。

満員電車に揺られて、職場に向かっているところ。

(くさい…)

目の前にいるおじさんの安いコロンの匂いに鼻がやられそう。職場まで、あと2駅。

(…我慢…妄想しよう…ここはお花畑…そう、ここは)

現実はそう変わらない。私は、口で息をしながら耐える。

私が勤めている食品メーカーは創業40年の中小企業。新卒で入社してずっと、同じ職場、同じ仕事、同じ毎日。

同期の子たちが寿退社していくラッシュにも乗れず、会社に何となくとどまり続けている。新卒の女の子たちの仕事のフォロー、愚痴の受け止めばかり、責任のある仕事はまわってこない。

(…転職しようかな…なんか、いいことないかな)

(…ん…なんだろ…しんどいな)

私、強い眩暈を感じて、その場にふらっと倒れそうになる。

男性

「大丈夫?」

聞き覚えのあるような低い声が、頭の上で響いた。

私は、紺色のストライプ柄のスーツの腕の中に、いた。

(…え…だ、誰…?)

住吉麻里

「す…すいません…」

慌てて身体を起こし、振り返ると、鼻筋がすっと通った、整った顔だちの男性が立っていた。背は180センチくらい、栗色の大きな目が見開かれている。

(…うわ…男前リーマン!…得しちゃった…)

その時、電車が急に横に揺れ、私は再び男性にもたれかかってしまう。

住吉麻里

「ご、ごめんなさい…何度も」

男性

「…あれ?」

(なんか、じっと見つめてくる?!何、何?!)

男性

「…いえ」

電車が駅のホームに着いて、男性は颯爽と車両を出て行った。

(…あ…お礼を言うの忘れちゃった)

○オフィス・更衣室(夕方)

私の仕事は事務。きっちり5時終わり。予定が特にない私は、職場と自分の部屋を往復する日々。

今日は珍しく予定がある。

恰好はいつも通り、シンプルな白シャツに黒の細身パンツ、背が高い私はコンプレックスで、低めのパンプスを履く。

気が付くと、後輩の保元花江(25)が香水を全身に振りかけている。

保元花江

「…あ、匂いました?」

住吉麻里

「…廊下でしたほうがいいかも…いい香りだけど」

保元花江

「気をつけまーす」

(でも、いつも口だけ…)

住吉麻里

「…今日のお相手は?」

保元花江

「金融系リーマンです!年収700万は保障されるって」

住吉麻里

「…そっか、頑張って」

私はにこやかに笑うと、更衣室を後にしようとする。

保元花江

「住吉さん、落ちましたよ」

振り向くと、花江が一枚のハガキを持っている。ちゃっかり内容を見て、

保元花江

「…中学の同窓会…20年前…?私、幼稚園…」

(それ、わざわざ口に出す?!)

住吉麻里

「ありがとう」

私は花江からハガキをひったくると、急いで更衣室を出た。

(…ますます行くのが憂鬱になってきた…)

○同窓会の会場・前(夜)

私は会場の前にいた。同窓生たちが騒ぎながら会場に入っていく。

(…仲の良かった友達は来ないみたいだし…やっぱり帰ろうかな…)

私は自分の恰好に目を落とす。

(みんな、やけに気合い入ってる…こんな地味な格好で…浮くかも)

私は、踵を返して帰ろうとした…

男性

「あれ、もう帰るの?」

男性

「…そういうのは不躾っていうものです」

目の前に、朝、山手線の車両の中で会ったスーツの男性が立っている。

その隣には、同じくらいの背丈の、切れ長の涼しげな瞳をした端正な顔だちの男性がいた。しかも、カチっとした和装でキメている。

(…え…同窓生?!誰だろう…)

スーツの男性が、肩をすくめて笑う。

大倉央

「…俺、大倉央。サッカー部だった…覚えてる?副生徒会長さん」

花村総次郎

「…花村総次郎と申します。華道部でした。覚えているわけないですよね」

(…うっすら思い出してきたけど…こんなに恰好いいとか…何を話していいか…)

住吉麻里

「…あ、ご無沙汰しています」

大倉央

「…朝はどうも」

央は思い出し笑いを浮かべる。隣の総次郎は怪訝な顔をしている。

私は自分の失態を思い出して、赤面する。

大倉央

「…相変わらずだな…貧血でぶっ倒れるところ…」

(…え…昔は朝礼とかで倒れることはあったけど…)

央の懐かしそうに笑う顔、柔らかな瞳に吸い込まれそうになる。

こっそり呼吸をして、心の乱れを隠す。

花村総次郎

「…あと、5分で始まりますよ」

総次郎は会場に入っていた。央と私も顔を見合わせ、慌てて総次郎の後を追いかけた。

○同窓会の会場・中(夜)

ガヤガヤとした会場の中、私は俯きがちにカクテルを飲んでいた。

元クラスメイトたちの会話に一応入るものの、旦那や姑の愚痴、親バカトークに花が咲いていて、とてもついていけない。

(惨めだ…目の前に幸せを突きつけられて…私には何もない)

私はふと会場を見渡して、央、総次郎を目で探す。二人とも、取り巻きの女性たちに囲まれている。

(…来るんじゃなかった)

私はお手洗いに行くふりをして、会場を早めに抜けることにした。

(家に帰って、熱いシャワーを浴びたい)

(…あ、TUTAYAに行って、『ラスト・ガール Season.2』借りて帰ろうかな)

大倉央

「…こんなところにいた」

振り返ると、目の前すぐのところに央の顔。

大倉央

「もう帰るのか?」

住吉麻里

「…急用があって…あの」

大倉央

「あんまり食べてなさそうだな…人の話ばっかり聞いて、食べるタイミング逃してたんじゃないのか」

央は私の腕をとり、テーブルの方へ引っ張っていく。綺麗に並べられているオードブルを手際よく皿に取ってくれる央。

大倉央

「俺がとってやったんだ。食え」

住吉麻里

「…でも、こんなに…」

大倉央

「食うの、食わないの?」

住吉麻里

「…食べます」

私は央から皿を受け取り、オードブルを口いっぱいにほうばる。

住吉麻里

「美味しい…」

大倉央

「すぐに我慢すんなよ」

住吉麻里

「…ありがとう。せっかくだもんね」

くしゃっとした笑顔をふいに見せる央。私が、央の甘い笑顔に釘づけになっていると、

花村総次郎がいつの間にか、近くに立っていた。

花村総次郎

「…ケチャップ」

総次郎はすっと袖の中から、綺麗な和柄のハンカチを取り出し、私の口元を拭う。

あまりに自然な流れに、私は硬直してしまう。

(…?!)

私ははっとして、総次郎の手からハンカチを奪い取ると、自分で口元を拭う。

(…は…恥ずかしい…子供じゃないんだから)

大倉央

「…34…だっけ、35?」

花村総次郎

「口につめこむ癖は変わらないということですか」

央と総次郎は肩を並べて、私をおかしそうに見ている。

(…か、からかっているんだ…この会場で浮いている私を…)

住吉麻里

「…失礼しました。ハンカチありがとうございました。洗ってお返しします」

花村総次郎

「結構ですよ。差し上げます」

住吉麻里

「いえ、お返しします!」

大倉央

「…じゃあ、連絡先交換しよう」

住吉麻里

「…え?」

大倉央

「勘違いするなよ。仕事に繋がることもあるから、どんな奴とでも連絡先交換してるから」

(…何その言い方…別に期待してないのに…)

花村総次郎

「…私はこれで…」

総次郎は再び袖の中に手をつっこむと、一枚のカードを取り出し、私に差し出した。

住吉麻里

「…秋風…わ、和菓子屋さん?」

大倉央

「カリントウ饅頭が美味しいよな。俺の、これ」

央はスーツのジャケットの胸ポケットから名刺入れを取り出し、慣れた手つきで私に名刺を差し出した。

大倉央

「営業、一応、役職はリーダー」

央の名刺には、有名なレディース服を手掛けるアパレル商社の名前があった。

住吉麻里

「…私は食品メーカーで事務。でも、たいした仕事はしてないから…」

私たちが連絡先を好感しているのを遠巻きに見ている会場の女子たちは羨ましそうな顔をしていた…胸の奥が少しだけすっとした。

【2】

○オフィス・更衣室(朝)

ロッカーの鏡を見ると、心なしか顔色が良い気もする。

昨晩は総次郎と何通かメールのやりとりをした。央からは、よろしくの一言だけメッセージが入っていた。

保元花江

「おはようございます」

(朝帰りの私感、満載…)

保元花江

「朝までオールで、さすがに年だからきついです」

(あなた私よりも10歳近く下じゃない…)

住吉麻里

「…そっか。早めに帰らせてもらえば?」

保元花江

「でも、もう有給ないし、できませんよぉ」

(しょっちゅう有給消化して、旅行とかライブに行ってるもんね!)

相変わらずの麻里に少し疲れて、私は口をつぐんだ。

○オフィス・会議室

ランチの後、私は部長の荻に会議室に呼び出されていた。

「すまないね、ちょっとそこ座って」

住吉麻里

「…はい。なんでしょうか」

「部署異動の通達。商品企画室に、明日から行ってもらえるかな」

住吉麻里

「商品企画室に明日から?…でも、どうして私が」

「まあ、事務職では、その…どんどん若手が入ってきているし」

(…それは…私の年齢が年齢だから…ってこと?)

住吉麻里

「若手を育てることは大切ですよね…」

「そうなんだよ。商品企画室は少数精鋭の部署だよ。かなり環境は変わるけど、即戦力になれるように努力してね」

住吉麻里

「はい…頑張ります」

(正直…このままこの仕事を続けていいのか悩んでた…これはチャンスかもしれない。私が変わるための…)

私は不安と希望で胸をいっぱいにして、会議室を後にした。

○山手線・○○駅・ホーム(朝)

今日から商品企画室…人間関係もリセット…緊張するけど、心のどこかで期待している自分もいる。昨日、デパートで新しいスーツを買った。朝、スーツの袖に腕を通した時の新鮮な気持ち…随分前に忘れていた。

大倉央

「あれ、スーツ?」

後ろから声をかけてきたのは央だった。

住吉麻里

「大倉くん…どうして」

大倉央

「今日は直行でさ。電車乗り換えてたら、たまたま住吉さん見かけて声かけた」

住吉麻里

「…そっか」

大倉央

「似合ってるな、スーツ。できる女に見せるぜ。まあ、中身が伴わないとダメだけど」

住吉麻里

「…嫌味?…今日から新しい部署なんだ…商品企画室」

大倉央

「へえ。花形の部署じゃん」

電車がホームに滑りこんでくる。列に並ぶ人たちが我先にと前に歩みを進めてくる。

央が私の腕をとり、自分の身体に引き寄せた。鼻先をかすめるムスクの甘い香り。

(…いい匂い…落ち着く…)

大倉央

「…朝からぼーっとしてんなよ。本当、恰好だけだな」

住吉麻里

「…ほ、ほっといてよ」

大倉央

「言うこと聞け」

央の顔がいきなり近くなる。怒っているような、どこか心配しているような瞳。

大倉央

「…また貧血になるなよ」

央は私の腕を掴んだまま、山手線の電車に乗り込んだ。

○山手線(外回り)・車内(朝)

吊革にぶらさがって立っている私。その隣に、央。

住吉麻里

「…あの、ありがとう」

大倉央

「…別に。俺、新聞読むから、静かにしてろよ」

央はそういうと、新聞を鞄から取り出して読み始める。

私は央の横顔をこっそり盗み見る。心臓はドクドクと動いている。

(…期待しないようにしないと…気まぐれな優しさに惑わされちゃダメ…)

○オフィス(夕方)

私は一日中部屋の隅で、新しい仕事のマニュアルや引き継ぎの資料を見ていた。

商品企画室の中で唯一の女性社員、木下メイは性格がきつそうだけど美人…年は28だという。メイが私の席にやってくる。

木下メイ

「住吉さん、分からないところありましたか」

住吉麻里

「…あ、むしろ分からないところだらけで…でも、大丈夫です」

木下メイ

「女性だからって理由で振られる仕事結構あるんで頑張ってください。明日は外出があるんで同行お願いします」

メイはてきぱきと言うと、そそくさと自分の席に戻っていった。

(…もう少し優しくしてくれてもいいのに)

手元の資料を見ると、うちが主に作っている小豆のアイスバーの新作情報が載っている。

(…美味しいけど、他社との差別化…正直できていないよね…)

私は頬杖をつきながら、引き続き資料に目を通した。

○道

翌日。私はメイに同行して、商品の共同開発をしている企業に訪問することに。

木下メイ

「ここです。あ、今日は住吉さんの紹介しますね。サブ担当なんで、しっかりしてくださいね」

住吉麻里

「いきなりですか?!」

木下メイ

「…女性社員が少ないから、担当企業によっては、女性をつけたほうがいいって課長が判断するんです…別に実力関係ないんで」

(そんなの分かってるよ…)

道を曲がった先に、和菓子屋が立っていた。

(…あ…『秋風』?…ここ、花村君のお店?こんなところにあったんだ…)

すると、メイが『秋風』の店の暖簾をくぐって、中に入っていく。

(え…まさか!?)

○和菓子屋『秋風』・中

目の前にいる総次郎は、私の来店に動ずることもなく、淡々と名刺交換をした。

(…どんだけクールなのよ…あ、ここの会社だったの?!くらいの反応があっても…)

木下メイ

「…こんな年ですが、一応新人なので、ご迷惑おかけしますがよろしくお願いします」

(…こんな年?!は?!どんだけよ…身内を落とすのは建前であるけど…)

私は顔をひきつらせないようにあくまでも笑顔で黙って座っていた。

花村総次郎

「…私はどなたが担当でも構いません。…それで、例の商品のレシピのことですが」

総次郎とメイは顔を突き合わせて、開発中の商品の話を始める。

総次郎のすっとした鼻筋に、長い前髪がさらっと落ちる。私は思わず見とれてしまう。

木下メイ

「…1か月で試作品を仕上げていただけると助かります」

花村総次郎

「分かりました。なるべく早く対応致します」

木下メイ

「ありがとうございます。私が伺えない時には住吉が参りますので」

花村総次郎

「…木下さん、担当を住吉さんに変えてもらっていいですか?」

木下メイ

「え?」

花村総次郎

「新人の方には荷が重いかもしれないですが、どうせなら勢いのある新人さんに担当してもらったほうが斬新なアイディアとか出るかもしれないじゃないですか」

木下メイ

「…それでは、私もサポートしますが、メインを住吉に担当させます」

メイは私を睨みつける。私は思わずすくみあがる。

(…ちょっと…角が立つ!なんてことしてくれるのよ?!)

花村総次郎

「…期待していますよ、新人さん」

冷たい微笑を浮かべて、総次郎は立ち上がると店の奥に消えて行った。

メイは手元の資料を乱暴にかき集め、鞄にしまいながら、

木下メイ

「…あの人何考えているのか全然読めない…」

(…総次郎なりに、仕事できる機会を私にくれた?って、考えすぎかな?)

木下メイ

「はあ、課長に報告しなきゃ…あー、めんどくさ」

メイと私は、和菓子屋『秋風』を後にした。

○道(夜)

(あー、疲れた… )

駅からの部屋までの道を、月を見上げながら帰る。鞄の中のスマホが短く振動した。

(…誰だろ)

メッセージは央からだった。

(「今度飲み会しよう。女の子一人誘って」?え、合コン開けってこと?!…それって、私は恋愛対象じゃないって、そういうことかな…営業の人ってフットワーク軽いから、こんなノリなのかな)

私はすぐに返信するのをやめて、鞄の中にスマホをしまった。ほんの少し、央との恋愛を夢見ていた自分がバカみたいだった。

(恋愛運がないのは今に始まったことじゃないし…今は仕事に集中しよう!)

○山手線(外回り)・車内(朝)

私は吊革にぶら下がって、うつらうつらしていた。

(…眠い…3日連続残業…ちょっときつい)

電車が大きく揺れて、私は体勢を大きく崩した。後ろから長い腕が伸びてきて、私を支えた。振り返ると、呆れ顔の央が立っていた。

大倉央

「気をつけろって言っただろ」

住吉麻里

「ごめんなさい」

大倉央

「新しい部署きついのか?無理するなよ」

(…心配してくれてる?…上辺だけの言葉?)

住吉麻里

「…どうせ、恰好だけよ!でも、早く仕事覚えて、新しい商品のためのアイデアを出したいから頑張るって決めたの」

大倉央

「…なんだ、やる気ありすぎて空回りしてるのか」

そういうと、央は大きな手を私の頭にそっと置いた。央の瞳が私を優しく見下ろす。

大倉央

「…女なんだから、甘えるときは甘えな」

私は動揺を見せないように、央の手をそっとどけながら、目を逸らす。

住吉麻里

「…甘えるなんて、この年で出来るわけないじゃない…あ、メール返信してなくてごめん。会社の女の子呼ぶよ。2対2でいい?」

大倉央

「…あれは…そんなにがっつりしてほしいってことじゃ…てゆうか、俺も仕事忙しくて都合つくか分からないしな」

央は曖昧な返事をして、そこから一言も喋らなかった。

(…そっちが合コンしようって言い出したんじゃない!…私、振り回されてる)

○和菓子屋『秋風』・中

私が店内で待っていると、作務衣姿の総次郎が出てくる、少し憂鬱そうだ。総次郎は私に気が付くと慌てて笑顔を作る。あくまでも仕事用の笑顔…

花村総次郎

「…すいません…お待たせして」

住吉麻里

「…あの、どうですか…試作品のほうは」

花村総次郎

「もう少し待ってもらえますか。…レシピが悪いのか…何か問題が」

住吉麻里

「勉強不足の私が言うのもあれなんですが、見せてもらえないですか?」

花村総次郎

「え?」

(私には熱意しかない…それに、花村君が作る和菓子を見てみたい…)

○和菓子屋『秋風』・工房

柔らかな餅の生地に包まれている粒あん…ぱっと見ただけで美味しそうなのが想像つく。

花村総次郎

「一つ、作りますね。生だといいんですが、冷凍になると、この餅の良さが消えてしまうんです…」

総次郎の白く長い手が餅をつかみ、柔らかい餅の中に粒あんを入れ、丸めていく。その手先が綺麗で見とれてしまう。

住吉麻里

「こんな綺麗なお菓子が…手軽に家庭で楽しめたらいいですね。私だったら、100個くらい買いだめしちゃいそう」

花村総次郎

「…欲張りですね」

総次郎がふっと笑って、イタズラそうな瞳が揺れた。長い指で小さな餅をつまみ上げると、総次郎は私の口に運んだ。

住吉麻里

「…う…うううう…お、美味しい!!!」

美味しさに悶えている私を総次郎は眺めている。

住吉麻里

「…すごい…どうやったらこんな美味しいものを…」

花村総次郎

「…生まれた時からこの店を継ぐことは決まっていて、修行してきました…決められた道をひたすら歩いていかないといけない中、こういった新しいことに挑戦するのは、私にとってはすごく大事なことなんです」

(…花村君にとって、このプロジェクトは一つの夢なんだ…だったら、私、もっと役に立てるようにならないと)

住吉麻里

「…分かりました!うちのほうでもレシピを再度見直して、もっといい商品になるように一緒に頑張っていきましょう!」

花村総次郎

「…やっぱり、住吉さんは変わらない…昔、副生徒会長していた時から…そういう生真面目なところがあったね」

急に親しげに話し出した総次郎に私はドキっとする。彼のくるくる変わる表情に私の胸の内はざわついていた。

○居酒屋(夜)

4つのビールジョッキが合わさり、軽快な音がする。

「かんぱーい!」

私と花江、真向いには総次郎と央が座っている。花江の目がキラキラしている。

(そりゃあかなりのイケメンだものね…って、態度が露骨に変わり過ぎだけど)

大倉央

「前の部署の後輩なんだって?こういう飲み会はよく行くの?」

保元花江

「え…まさか。全然呼ばれないし…寂しい毎日ですよぉ」

(週3で合コン行くペースだよね?!寂しくないよね?!)

花村総次郎

「…央、お前、他に友達いないのか」

大倉央

「いや、せっかくだから、総次郎とも旧知とはいえ親睦深めたいだろ」

保元花江

「で、お二人は何の仕事してるんですか?」

そこから、花江は大倉君と花村君を質問責めにして、私には出来ない速さで、連絡先を聞き出した。私はひたすらハイボールを飲んだせいで、気持ち悪くなってきた。

住吉麻里

「…ごめん、ちょっとお手洗いに」

大倉央

「俺もー」

(…え?)

○居酒屋・トイレ前(夜)

私はハンカチで口元をおさえながら、トイレから出てきた。

(…吐くほど飲むなんて…私らしくない…)

央がスマホを見ながら、壁にもたれかかって、立っていた。

大倉央

「…お前、吐いたとか?」

住吉麻里

「…ちょっと…疲れて寝不足なところに…調子に乗って飲んじゃったから…」

央は小さく溜息をついて、私の腕を引っ張って、店の外に連れ出した。

○居酒屋の前・外(夜)

大倉央

「ゆっくり外の空気吸え。少しはマシになるだろ」

壁によりかかっている私の、背中を優しくさすってくれる央。

(…弱っている時に優しくするなんて…この人、絶対人たらしだ…)

住吉麻里

「…ごめんなさい。何か、恰好悪いとこばっかり…恥ずかしい」

央は近くの自販機で水を買ってきて、私に黙って差し出した。

大倉央

「…かっこつけて澄ましている女より、一生懸命がんばっている女のほうが、俺は好きだけどな」

私は水を受け取って、一口飲んで、ゆっくり深呼吸をした。

央は壁に手をついて、ぐいっと顔を近づけてきた。私は驚いて、目を見開く。

住吉麻里

「…からかってるの?私が男っ気がないからって」

央はさらに顔を近づけてきた。央の甘い瞳に吸い込まれそうになる。

住吉麻里

「…だ、誰にでもこういうことしているんでしょ?」

大倉央

「決めつけるな」

央の唇が私の唇に重なった。乾いて冷たい唇…私は目をつぶった。央の舌が口に滑り込んできそうになって、慌てて身体を離す。

住吉麻里

「…ま、待って」

大倉央

「嫌だった?」

住吉麻里

「…だって、私なんて眼中にないでしょ」

央が私の腕を取り、ぎゅっと抱きしめる。央は私の耳にそっと口づけながら言った。

大倉央

「…二人きりで会おうって言ったら警戒されると思ったから…恋愛下手なら、俺が手取り足取り教えてやる。お前はそのままでいい」

央は私をじっと見つめた。真剣な、まっすぐな瞳。恋の予感はあった。でも、一方通行だと思っていた。

(央が…好き…)

再び、央が私の唇に口づけた。さっきより激しく、そして甘く。舌が絡まり、熱い吐息が二人を包み込んでいった。私は央の背中に手を回して、

(…彼にもっと好きになってほしい…離れたくない…)

央をもっと近くに感じたい、そう思うと、胸が苦しくて仕方なかった。

【3】

○和菓子屋『秋風』・中(夜)

あれから1週間。央とは電車で会うこともなく、私も仕事に追われる日々を過ごしていた。

総次郎に急に呼び出され、私は『秋風』までやってきた。暖簾をくぐると、総次郎が嬉しそうな顔をして立っていた。

花村総次郎

「できたんだ…来て」

総次郎は私の手を取り、工房に連れて行った。

○和菓子屋『秋風』・工房(夜)

花村総次郎

「…気が付いたんだ…きっと、食感をそのままにするには上新粉の配分を…」

前よりは理解できるようになっていた私は、首を縦に振りながら彼の説明を聞いた。総次郎は上気した頬を手の甲で軽く撫で、笑った。

花村総次郎

「…ようやく、商品化に向けて、一歩前進した。この前、住吉さんが送ってくれた、他社商品の分析資料とか…本当に助かった」

住吉麻里

「…あんなの…頑張ったのは花村君だから」

総次郎は白い餅を指先で掴み、再び私の前に差し出した。

花村総次郎

「…目を閉じて。しっかり味わって欲しい」

私は目をつぶった。すると、私の唇に総次郎の唇が重ねられた。思わず目を開けて、総次郎を見る。総次郎は顔を離し、頭の後ろをかいている。

花村総次郎

「…私らしくない…でも、君に出会ったから…色々な歯車が周りだして…」

住吉麻里

「…あの…」

花村総次郎

「…もしかして…央と付き合っているのかな?この前、飲み会のとき、二人がいなくなったから…私は気が気でなくて…」

(いつも冷静な総次郎が…私のことで右往左往してる…央のことが好きなのに、総次郎にヤキモチ焼かれて嫌な気がしない…)

住吉麻里

「まだ、大倉君とは…そんなんじゃ…」

総次郎は私と真正面に向き合うと、重い口を開けた。

花村総次郎

「私は後を継がないといけない…だから、私と付き合ってくれる女性にはそれなりの覚悟が必要です…面倒ごとを抱えている私ですが…結婚を前提に、お付き合いしてください」

総次郎は律儀に頭を下げた。

(け、結婚?!)

○山手線・○○駅・ホーム(朝)

(3日間寝込んでいたからかな、フラフラする…)

私は頭痛を抱えながら、電車を待っていた。総次郎に告白された次の日、溜まっていた疲れが出たのか、高熱がでて、昨晩ようやく平熱に下がったのだった。

ホームにやってきた電車に乗ろうとした私の腕を取ったのは央だった。

大倉央

「…大丈夫か?」

住吉麻里

「…央…ごめんなさい。返信できていなくて」

大倉央

「…体調崩してたのか…そんなときに会いたいだなんて…悪かったな」

申し訳なさそうな顔の央。いつもらしくない。嫌な予感がした。

大倉央

「…話があるんだけど、5分でいいから」

住吉麻里

「…う、うん…」

(…なんだろう…会いたいって…この前のキスからずっと会ってなかったけど、やっぱり央と一緒にいるとドキドキする)

ホームの隅にある椅子まで移動すると、央は顎で「ここに座れ」と言う。言われるがまま、央の隣に座る。

大倉央

「…それ、総次郎の店のだよな」

私が鞄と一緒に持っている紙袋は、和菓子屋『秋風』のものだった。

住吉麻里

「…あ、そうなの。前、飲み会でも話してたけど、今、仕事で一緒に」

大倉央

「2人で会ったりしてるのか」

住吉麻里

「え…ううん、そんなことは…」

大倉央

「この前、俺、お前にキスしただろ」

央はまっすぐに私を見つめた。私はこの前の央の熱いキスを思い出した。

大倉央

「…あの時の気持ちは本物だけど…この前のは、無かったことにしてほしいんだ」

住吉麻里

「…え…」

大倉央

「…俺、近々、香港の新しいオフィスの立ち上げメンバーになったんだ…すげえタイミングだけど。で、今月中に視察で向こうに飛ぶんだ」

住吉麻里

「…え…昇進したってことだよね?…すごいじゃない!」

大倉央

「…嬉しいよ…仕事に打ち込んできた甲斐があるっていうか…でも、いきなりお前を放置することになる…側にいてやれない。本当は近くにいて何でもしてやりたい、目を離したくない」

央が私の手に手を重ねて、ぎゅっと握った。暖かい…そして、愛おしい央の手だ。

(…聞きたくない…続きを言わないで欲しい…)

大倉央

「この前のことは忘れてくれ。俺のことも…」

住吉麻里

「全部…?」

大倉央

「…勝手なことを言ってるよな」

住吉麻里

「…そんなことない。私なら大丈夫だから」

大倉央

「…総次郎と仲良くやれよ」

(…さようなら、なんて…嫌だ…でも、応援してあげないといけない…せめて笑顔で)

住吉麻里「央ならきっと大丈夫!頑張ってね!」

央は優しく微笑んで、私の頭の上に大きな手をそっと置いた。

大倉央

「…お前もスーツの似合う女になってきたな」

央はそういうと、私の前から去って行った。彼のぬくもりを求めているのに、私の口は開くことはなく…央の後ろ姿を黙って見守るだけだった。

○和菓子屋『秋風』・外

数週間後、私は総次郎に会いに、『秋風』に足を運んだ。共同開発している商品の広告戦略について伝えるため、そして、この前の返事をするために…

総次郎が奥から出てきて、私を見て、ふっと微笑を浮かべた。

花村総次郎

「いらっしゃいませ」

住吉麻里

「…ご無沙汰してます。先日メールさせていただきましたが、商品の広告について…」

総次郎は近づいてきて、私の肩に手を置いた。

花村総次郎

「…肝心な話はしないつもりですか?」

住吉麻里

「…あの」

花村総次郎

「さあ、行きましょうか」

総次郎は私の腕をとり、店の外を出た。私は店の裏手に停めてある高な車に案内された。

○空港・駐車場・車内

1時間かけて、総次郎が私を連れて来た場所は成田空港だった。央が香港へ長期出張に旅立つ日、それが今日らしい。フライト時間は近づいている。

花村総次郎

「…分かっていたんです。…きっと、あなたは私を選ばない…それでも」

総次郎は優しく私の頬を手で包む。

花村総次郎

「あなたの幸せを決めるのはあなたです。…私は、あなたは私と一緒にいたほうが幸せになる、そう思っています。…さあ、どうしますか?」

住吉麻里

「…私の幸せは私が決める…ちゃんと言ってきます…ありがとう」

総次郎は目を細めて、ゆっくりと私の頬から手を離した。そして、前を向き、冷たく言い放った。

花村総次郎

「やっぱり私が良かった…なんて泣き付いても、もう聞きませんから」

私は総次郎に頭を下げると、車のドアを開けて、空港の国際線ターミナルに向かった。

○空港・国際線ターミナル・出発ロビー

私は走りながら央の姿を探した。総次郎の話では、フライト時間まであと40分…

(…お願い…まだ、いて!)

私の肩をぽんと叩く手があった。振り向くと、目を見開いている央の姿があった。

大倉央

「…麻里…どうしてここに」

住吉麻里

「…総次郎から聞いたの…今日、香港に旅立つって…だから」

大倉央

「…あいつ」

住吉麻里

「…私、央に伝えたいことがあって…どうしても…離れてしまう前に…」

住吉麻里

「…あのね…私が好きなのは…」

央は私の口にいきなり手を当てる。

大倉央

「…こら、勝手に告白し始めるな」

央は私の口から手を離すと、私をぎゅっと抱きしめた。

住吉麻里

「央、私…」

央は私の身体をそっと離すと、顔をぐっと近づけた。

大倉央

「…文句言うなよ…こんなはずじゃなかったなんて」

住吉麻里

「言わない…絶対」

大倉央

「俺のそばにいろ。ずっとだ…お前は俺のものだ…その瞳もその唇も全部」

央の瞳が優しく私を見つめている。強い言葉と裏腹に、愛に満ちている二つの瞳。

住吉麻里

「…好き。離れていても、ずっと…これからも」

大倉央はにこっと笑い、そして、私のほおを優しくつねる。

大倉央

「麻里、可愛いな」

そういうと、央は私の唇にやさしく唇を重ねた。私も目をつぶり、それに応える。

大倉央

「…たったの4泊5日だ…出張が終わったら、すぐに迎えにいくから」

央は私の髪の毛を優しく撫でながら、私の耳元でそっと囁く。

住吉麻里

「…待ってる」

大倉央

「いい子だ」

再び、央の腕に優しく抱かれて、私は目をつぶった。

○空港・展望デッキ

私は青空に飛びだっていく飛行機を見上げる。寂しくなんてない…これからはずっと彼がそばにいる。この青空の下、私と央は繋がっている。これからどんなことが起きたって、この瞬間を私は忘れない。私たちの恋は…これからだ。