短編シナリオ『アイムテッペンワズ』
『アイムテッペンワズ』
★人物表
花村 翠(17)(38)観光推進課のウェブ担当
藤間 文彦(33)観光推進課のウェブ担当
フレッド・ヨハンセン(42)カメラマン
浅田 雛子(25)観光推進課・事務
佐伯 陽平(57)観光推進課・課長
板倉 弘毅(55)雑誌の編集長
花村 泰介(40)翠の父(回想)
○河口湖・湖畔
白いワンピース姿の花村翠(38)が湖のほとりで屈み込んでいる。翠、湖に映る自分の顔をじっと見つめ、水面を指先で、ぴしゃんと叩く。水面に映る翠の美しい顔が歪んで消える。
× × ×
湖畔を歩いている翠。
ベビーカーを押す母親と、その横を歩く父親の姿が、翠の目の前にある。その家族から目を逸らす翠。
河口湖の水面が、キラキラ光っている。
タイトル『アイム・テッペン・ワズ』
○富士河口湖町役場・4階・エレベーター前
大きなリュックサックを背負ったフレッド・ヨハンセン(42)がきょろきょろしている。
佐伯(声)「えー、このたび、ホームページ
リニューアルの実施にあたり…」
○同・同・観光推進課・会議室
佐伯陽平(57)がホワイトボードの前に立っている。
佐伯「当プロジェクト長を花村さんにお願い
したいと思います」
翠、ばっと顔をあげる。
翠「わ、私ですか?」
佐伯「サポートは藤間君にお願いしようかな」
藤間文彦(33)が、顔をあげる。
藤間「…分かりました」
佐伯「花村さんに一任するから、よろしく」
浅田雛子(25)が手をあげる。
雛子「また翠さんですか?…私もそろそろ」
佐伯「君はまだ経験不足だろ」
雛子、露骨にふてくれる。
翠、ちらっと藤間を見る。
○(回想)翠の自宅・ダイニング(夜)
顔にパックを張り付けた翠が、口を開けて立っている。
テーブルに座って、翠を静かな目で見ている藤間。
翠「な…なんで急にそんな話になるのよ」
藤間「…俺とじゃ釣り合わない…そう思って
いるんじゃないか?」
翠「…まさか」
藤間「翠は綺麗で、仕事もできて。俺はいつ
までも翠のサポートばかり。自分が小さい男だって思うよ?でも、正直しんどいんだ」
翠「…それは私の方が長く働いているからで
…文君がうちに所属されてからずっと頑張っているの、私、ちゃんと分かってるよ?」
藤間「じゃあ、俺が今、翠にプロポーズした
ら、OKする?」
翠の瞳が揺れ動く。
翠「…それは」
藤間、静かに溜息をつく。
藤間「ほら見ろよ。俺なんて、そんなもんな
んだよ…5年も一緒にいたのに」
翠「ち、違う…結婚ってすごく大事なことだ
から、すぐには決められないだけ」
藤間「…もういいって」
藤間「…翠には、また、すぐに新しい人が見
つかるよ」
翠、藤間に近寄り、じっと藤間を見る。
翠「…本気なの?出ていくの?」
藤間「一か月以内には」
翠「…自分勝手すぎる」
藤間「もう決めたんだ」
翠の顔から、パックが落ちて、足もとに落ちる。
○富士河口湖町役場・4階・観光推進課
雛子、愛想笑いを顔中に浮かべている。
雛子「ぱ、パードン?」
フレッド、深い溜息をつく。
佐伯がフレッドと雛子の姿を見つけ、翠に声をかける。
佐伯「花村さん、外国の方。対応よろしく」
翠、顔をあげる。
雛子は、佐伯そして翠を睨む。
○同・同・同・会議室
大笑いをしているフレッドと呆れた顔の翠。
翠「若いスタッフを苛めないでください」
フレッド「ソーリー。しかし、ここで、あな
たに会えるとは」
翠は怪訝そうな顔をしている。
フレッド「ウェブページで見ました、あなた
のこと。ミス・富士山、グランプリ」
翠は顔を赤くする。
翠「何年も前のものですから…!」
フレッド「一目で分かりました。何で恥ずか
しい?グランプリ、すごいことです」
翠「…恥ずかしいじゃないですか…もう、こ
んな年なのに」
フレッド「日本人は、年齢を重ねてこそ磨か
れる美しさを評価していないように思います。…何を卑屈に思うことがありますか」
翠「…卑屈」
フレッドは、ジャケットの胸ポケットから名刺を取り出し、翠に手渡す。
フレッド「ウェブページの素材の撮影を任さ
れました。よろしくお願いします」
翠「え、カメラマン?」
フレッド「カメラマンが首からカメラを提げ
ていないとおかしいと言った顔ですね…普段は東京なんですが、こちらには1か月間ほど滞在させていただきます。ミス・富士山、よろしくお願いします」
翠「…東京から…わざわざ…」
フレッド「ミス富士山、そういえば週末は空
いていますか。私と富士山に登りませんか。当然、登ったことありますよね」
翠「…えっと、ありません」
フレッド「ワオ」
翠「というか、地元の人間に限って地元の観
光地に行かないものでしょ」
フレッド「あ、フレッドで」
翠「…フレッドさんだって、そうでしょう」
フレッド、じっと考え込む。
フレッド「OK。じゃあ、とりあえず、登り
ましょう。職場の方で、行ける方がいたらぜひ誘っておいてください」
翠「え、決行?!」
○レストラン『ラ ルーチェ』・外
藤間が、店の入り口で、腕時計を見ながら、立っている。
エナメルのパンプスが、藤間の視界に入る。
藤間が顔をあげて、不器用に笑う。
○スポーツショップ(夕方)
登山コーナーで、レザーブーツを手に取り、繁々と眺めている翠。
フレッドが後ろから話しかける。
フレッド「そんな高いブーツを買うんです
か、こだわりますね」
翠「え?!どうしてここに」
フレッド「…ミス富士山、嘘つきましたね。
ここ、町内で一番、上級者向きのグッズが置いてある店らしいじゃないですか」
翠「…正確には、登ったことはあるけど、途
中でリタイアしたので…私の中では、なかったことにしているんです」
翠はブーツを棚に戻して、別の商品を手に取る。
フレッド「なるほど…あ、それなら、私がい
くつか持っているのでお貸ししましょう」
翠「…ありがとうございます」
翠が戻したブーツを見つめているのを見て、フレッドがつぶやく。
フレッド「『目の前の山に登りたまえ。山は君
の全ての疑問に答えてくれるだろう』」
翠「え?」
フレッド「知っていますか?ラインホルト・
メスナー、イタリアの登山家の」
翠「…あ…いえ…知りません」
フレッド「富士山に登れば、きっと分かりま
す。あなたの悩んでいる答えは…きっと」
翠「…どうして」
フレッド「失礼ながら、ミス富士山、あなた
は何か悩みを抱えている。そして自分自身で余計こんがらがったものにしている…そんな気がしまして」
翠「人間観察がお得意で」
フレッド「カメラマンですから…心のレンズ
で、人の内面まで覗き込もうとしているのかもしれませんね」
○(回想)富士山・八合目
斜面に座って息を激しく吸って吐いてを繰り返している翠(17)。
背中からザックをおろして、一枚の写真を取り出す翠。
写真に写っているのは、富士山をバックにして、目尻に皺を寄せて笑っている花村泰介(40)。
泰介(声)「山はいいぞぉ…翠も大きくなっ
たら父さんと登ろうな。山には人生の全て
があるんだ。辛いことも嬉しいことも全部飲み込んで、…ただ美しい」
翠の目から、涙が写真の上に落ちる。
翠「…山になんか登らなきゃ…お父さんは…」
○富士河口湖町役場・4階・観光推進課(夕
方)
職員たちが各々帰り支度をしている。
藤間が立ち上がる。
藤間「…お疲れ様でした」
雛子、ちらっと藤間を振り返り、そして申し訳なさそうに翠を見る。
雛子「翠さん、ヨハンセンさんと二人きりに
なっちゃいましたね…みんな用事だなんて」
翠「雛ちゃん、前、土日は暇が多いって…」
雛子「ごめんなさい、お疲れ様でーす」
雛子はオフィスを出ていく。
○同・同・エレベーター内(夕方)
藤間が奥のほうに立っている。
雛子が乗り込み、にこっと笑う。
革靴とエナメルの靴が横に揃う。
エレベーターのドアが閉まる。
○富士山・富士宮表口五合目(深夜)
翠とフレッドが辺りを見渡している。
フレッド「もう少し上級者コースを周りたい
んですが、ブランクがあるのであれば…。
さあ、行きましょう、ミス富士山」
翠「…申し訳ありません。…フレッドさん、
私、いつまでミス富士山って呼ばれないといけないんですか?!」
フレッド「そうですよね…一緒に朝日を見る
仲なんですしね。翠さん」
翠「…仕方なく、ですけど…って名前かよ」
フレッド「さあ、行きますか」
翠、心配そうな顔をしながら頷く。
○富士山・表口・新六合目(深夜)
額の汗をタオルで拭う翠。
翠「…意外に…いけるかも…久々でも」
フレッド「…ここから、きつくなるので、気
を引き締めて。体調に違和感があれば、早めに言うこと、オーライ?」
翠「オーライ」
フレッドがにこっと笑い、翠も笑う。
○翠・藤間の住むアパート・寝室(深夜)
布団の上で白いシーツにくるまっている藤間と雛子。
藤間の後ろから雛子が抱きつく。
雛子「…ねえ、なんでそっぽ向いてるの」
藤間「…俺、こんなつもりじゃ…」
雛子「今さらね」
藤間「…いや…なんていうか…まだ、俺と翠、
ちゃんと別れてないし…このうち、二人で
住んでいるわけだし。雛子ちゃんも彼氏いるんでしょ」
雛子「それが何?私、まだ若いし、遊んでい
たいの。藤間さんが望まないなら、今日だけの関係でいいよ」
雛子、起き上がり、鞄を漁り、タバコの箱を取り出す。
藤間「…うち、禁煙なんだけど」
雛子「あ、そっか、バレちゃダメだもんね」
雛子は藤間のTシャツを手に取り、頭から被ると、部屋を出ていく。
藤間、枕に顔をうずめる。
○富士山・表口・七合目~八合目(明け方)
岩場に苦戦しながら登っている翠。
フレッドが振り返る。
フレッド「翠さん、大丈夫?」
翠「…なんとか…」
フレッド「山小屋まであともう少し…前を見
て、歩幅は狭く、分かった?」
翠「うん…ありがとう」
フレッド、額から流れる汗を手の甲で拭い、富士山を見上げる。
○(回想)赤坂・雑誌社『あけぼの』・内
大量の雑誌が積み重ねられたデスク。雑誌の間から、気難しい顔をした板倉弘毅(55)が顔を覗かせる。
板倉「全くもって、駄目だな」
フレッド、肩を落とす。
フレッド「今回も…ですか」
板倉「海外で賞を獲っていて、それ?って感
じ。全然パンチないんだもん」
フレッド「…パンチ…」
板倉「も~、そういうの、ニュアンスで汲み
取ってほしいわけ」
フレッド「日本の美しさを私なりに…」
板倉「そうゆうアートなのは、求めてないか
ら、うちは。綺麗なだけじゃね。新しくないとね」
板倉に写真の入ったファイルを突き出され、フレッドは黙ってそれを受け取ると、オフィスを出ていく。
○富士山・表口・八合目~九合目(明け方)
斜面に座り込んで、息を激しく吸って吐いている翠。
フレッドは斜面を見下している。
フレッド「…神はどうして挫折を与えるので
しょう。死に向かって生きていることに何
の意味があるのでしょう」
翠「…独り言?」
フレッド「…山に聞きました」
翠「…どうして、私は結婚していないんだろ
う。外見を磨いても、若さという武器には勝てないのに、どうして、そこにしがみ続けてしまうの」
フレッド「…山に聞いていますか?」
翠「…独り言」
二人はぷっと吹き出す。
翠「5年も同棲していたし、いつか結婚しよ
うって言われるかな、なんて思っていた彼にいきなり別れようって言われて。心のどこかで、彼でいいのかなって思っていたのが、どうやら見透かされていたみたい」
フレッド「彼の真意を、あなたは理解したの
ですか?」
翠「彼にとって、私は最後の女じゃなかった
…それだけのことでしょう」
フレッド「翠さんにとって…結婚って?」
翠「…私ね、中学生の時に…父が、登山が趣
味の父が、仲間と一緒に遭難して、冷たくなった姿で発見されて。ずっと大好きな人が一緒にいてくれるわけじゃない…人間は結局、孤独に死んでいくのよ…それが真理なの。…だから、結婚に夢なんてない」
フレッド「…藤間さんは、あなたの父とはま
た、別の人です」
翠「え?どうして…知ってるの」
フレッド「翠さん、あなたはもっと素直にな
らないといけない。きっと後悔します」
翠「…フレッドさんはどうなの?」
フレッド「私は半人前だから。大事な人は作
らない…苦労することになりますから」
翠「…そんなの決めつけだよ。フレッドさん
と一緒にいたい…そう思ったら、その人はどんな生活だって…幸せなはずよ」
フレッド「…ありがとう。嬉しいです」
翠「…行きましょうか」
○翠・藤間の住むアパート・玄関・内(明け
方)
藤間の頬に平手打ちをかます雛子。
藤間「…スッキリした?」
雛子「…翠さんも…藤間さんも大嫌い」
雛子はドアを開けて出ていく。
藤間は深い溜息をつく。
○富士山・山頂(日の出)
日の出を見ている翠とフレッド。
翠の目から涙がこぼれる。
フレッド「…綺麗なものを見るだけで、人は
涙を流すことができる…すごいことだ」
翠「ここでしか見られない景色だね。テレビ
で見るよりずっと…惨めったらしくて…私みたい…」
フレッド「…翠さん、神社に行きましょうか」
翠「…あ、撮影はいいの?」
フレッド「…翠さんを撮っていいの?」
翠「違うよ、日の出!」
フレッド「…今の綺麗な翠を撮りたいです」
翠の瞳が揺れ動く。
翠「…シルエットだけなら」
フレッドはリュックからカメラを取り出し、何枚も写真を撮る。
翠は振り返る、フレッドはファインダーから目を外す。
翠「…使えそうなのは、撮れた?」
フレッド「今の翠、目に、心に焼きついた」
翠「…何それ…」
翠はもう一度、朝日を見つめる。。
○富士山・富士宮表口五合目(朝)
翠とフレッドがゆっくり下山してくる。
フレッド、翠に手を差し出す。翠はフレッドの手を握り返す。
フレッド「一緒に登れて嬉しかった」
翠「…私も。ありがとう、フレッド」
○山梨県立富士北麓駐車場・車内(朝)
藤間が運転席で眠っているが、車の窓がノックされる音で目覚める。
窓の外に翠、その後ろにフレッドが立っている。
○山梨県立富士北麓駐車場(朝)
気まずそうに立っている藤間と翠。
フレッドは二人の背中をどんと押して、
近づけさせる。
フレッド「また、二人で登るといいです。ね、
翠さん、あの景色を彼と見たいでしょ」
翠「…フレッド…」
藤間「…ごめん、急に来たりして…俺…」
翠、藤間の車の助手席に乗り込む。
藤間はフレッドに頭を下げて運転席に乗り込む。
○同・走行中の車内(朝)
藤間が運転し、翠は助手席に座っている。
藤間「…家に帰ろう」
翠「…もう私たちの家じゃなくなるんでしょ」
藤間「…それは…」
翠「期待させなくていいよ」
○翠・藤間の住むアパート・台所
翠、鼻をくんくんとさせている。ゴミ箱の蓋を開けると、タバコの吸い柄が数本、先端には口紅がついている。
翠、じっとそれを見つめる。
○富士河口湖町役場・4階・観光推進課・会
議室(夜)
フレッドと翠が、テーブルの上の写真を見ている。
雛子がコーヒーを持ってくる。
雛子「ヨハンセンさん、もうすぐ東京に戻っ
ちゃうんですよね?」
フレッド「順調にいけば、その予定です」
雛子「じゃ、今晩飲みに行きましょうよ」
フレッド「いいですよ、翠は?」
翠「…私はもう少し…二人で先に行ってて」
雛子、フレッドの腕を取り、出ていく。
フレッド、翠を心配そうに見る。
○富士河口湖町役場・エレベーター内(夜)
フレッドの背中に抱きつく雛子。
雛子「東京に帰らないで…寂しい」
フレッド、雛子の手を取り、振り返る。
フレッド「…すいませんが…私は女の人に興
味がないものですから」
雛子、鼻白む。
雛子「…なんだ、翠さん狙いかと思ったのに」フレッド「…やっぱり」
雛子「え?」
フレッド「雛子さんの狙いは…翠を貶めるこ
と…職場で自分より仕事を振られる翠のことがあなたは気に食わないだけなのでは?彼女を妬んで…それで」
雛子「そんな浅い感情じゃないわよ…翠さん
とは…あの人はミス富士山以外にも、陸上で県内トップだった…私は…どんなに頑張っても翠さんの記録を越えられなかった…勝てるのは若さだけよ」
フレッド「…藤間が初めてではない?翠に好
意を寄せる相手を奪ってきたのは」
雛子「よく気が付いたわね…悪い?私が勝て
る、唯一の若さって武器で勝負したのよ」
フレッド「…翠は…あなたのこと、目にかけ
て…上司にも仕事を振るように頼んでいますよ…気づいていますよね。翠はあなたを思って行動している…それに、素直に、翠さんが羨ましいって言えばいい…そしたら、幸せが歩いてやってきますよ」
エレベーターが1階に到着する。
フレッド「ごめんなさい、やはり戻ります」
雛子は俯いている。
○富士河口湖町役場・4階・観光推進課・会
議室(夜)
フレッドが部屋に戻って来る。
翠は机に伏せて、居眠りをしている。
フレッドは翠の頭に手を置く。
× × ×
翠が目を開けると、斜め前の席に藤間が座っている。
藤間「大丈夫?貧血で倒れたって…ヨハンセ
ンさんが電話してきてさ」
翠「…わざわざ来てくれたの?」
藤間「…あの人、翠狙いじゃないの?」
翠「彼、同性愛者なんだって」
藤間「…へえ」
翠「私とフレッドが富士山に居る頃…あなた
がしていたこと…私、知ってるの…でも
ね、責められない…私があなたに失礼な気持ちで付き合っていたのに、あなたはちゃんと向かい合おうとしてくれていた…仕事で挫けそうな時、サポートしてくれた…私、もう逃げないから…あなたとずっと一緒に」
藤間「…何もかもお見通しってわけか。俺に
自信がないのも知っていて…それで将来のことなんて一度も口にしなかったんだよな。…俺は…翠から逃げたんだ。裏切ったこと、水に流さなくていいよ。俺の最後の我儘だ…けじめをつけさせてくれ。頼む」
翠「…そっか…分かった」
藤間、翠に手を差し出す。
藤間「今までありがとう。さようなら」
○翠・藤間のアパート・和室(夜)
窓際で揺れている風鈴。
畳の上で横になっている翠。
翠の目から涙が伝い落ちていく。
「どーん」と大きな音が響いて、花火が上がっているのが窓の外に見える。
○京都・清水寺
清水寺の舞台から、赤や黄色に染まった木々が見える。
フレッド、首から提げたカメラを手にとり、写真を撮っている。
× × ×
フレッドは鞄から携帯電話を取り出し、電話をかける。
フレッド「久しぶり…元気にしてた?」
○河口湖・湖畔
フレッドと翠が肩を並べて歩いている。
フレッドはカメラを首から下げ、時折、
ファインダーを覗いては、写真を撮っている。
フレッド「ミス富士山のページ無くなったね」
翠「ミス富士山のコンクールがもう無いのに、
ずっと残しているのは、おかしかったから」
フレッド「…少し、残念です…私、あの翠の
笑った顔、大好きでした」
翠「あ、でも、観光推進課の皆の紹介ページ、
良くなっていたと思わない?」
フレッド「そうだね…彼、藤間は辞めたんだ
ね…あと、雛子さんも」
翠「彼が辞めて、雛ちゃんも、いつの間に。
二人とも、元気にしているといいな…」
湖畔のほうを見つめる翠。
フレッド、翠の写真を撮る。
翠、少しフレッドを責めるように見る
が、そのまま写真を撮らせる。
フレッド、何回かシャッターを押して、
そして、翠に笑いかける。
フレッド「…翠、身体から余計なものが落ち
て、前より綺麗になった気がする」
翠「…そう?寂しい女になっていない?」
フレッド「心なしか…身体が引き締まったよ
うな…何か、運動していますか」
翠「…実はね、ボルダリングはじめたの。暇
つぶしのはずがね、思いの他、ハマってる」
フレッド「なるほどね~」
翠「汗をかくのが気持ち良くて」
フレッドと翠は、そのまま湖の周りを歩いていく。
○東京・某ボルタリング競技場・外
『5年後』
人ごみの間をすり抜けるように、カメラを持ったフレッドが歩いていく。
○同・同
岩をしっかりと手で掴んで、天井を見上げている翠。
翠の額からは、汗が垂れていく。
翠が右手を斜め上に伸ばして、視線が横にそれた瞬間、翠は会場の人ごみの中に、フレッドの姿を見つける。
フレッドは黙ってカメラのファインダーを覗き、翠の姿を写真におさめる。
翠は視線を戻し、左足を岩にかけ、ぐいっと身体を上に動かす。
翠のモノローグ『ミス富士山のグランプリを
獲った時の高揚感とは違った、満ち足りた
充実感を、私は富士山の頂上で感じた。私
は今、無心で岩を掴み、上へ上へと登って
いく。空に憧れたイカロスとまではいかな
くても…私はまたテッペンに行きたい…』
フレッド、カメラをおろし、翠の姿を
眩しそうに見つめる。
○同・同・外
生け垣に座っている翠に、フレッドがコーヒーの缶を差し出す。
翠「いつ帰国したの?」
フレッド「1週間前。忙しくて連絡できなか
ったんだ。会いたかったけど」
翠「そっか。忙しいのにありがとう。あれか
らフレッド売れっ子になっちゃったからね」
フレッド「久々に連絡したのはね…実は近々
引っ越すんだ、翠の町に」
翠「え?」
フレッド「いつでも富士山を見上げられる、
素敵な町で、義理の弟と写真スタジオを開くことになって。子供たちにカメラの撮り方を教える講座も開く予定です」
翠「そうなんだ!素敵ね」
フレッド「…これ、そこの宣伝に使ってい
い?」
フレッドはカメラをいじり、ボルダリングをしている翠の写真を翠に見せる。
翠「汗だらけ、メイクもしていない…そんな
私のすっぴんの写真を?」
フレッド「てっぺんを無心で目指す翠は、美
しかった。やはり、ミス富士山は違う」
翠、前を向いて、はにかんで笑う。
翠「…ありがとう」
フレッド、翠の笑顔を見て、前を向く。
フレッド「眩しくて…ファインダー越しじゃ
ないと見られないな」
翠「え?」
フレッド「…また、翠のこと、撮りに行って
もいいかな?」
翠「…もちろん。フレッドがいなければ、私
は富士山に登ることはなかった…あの素晴らしい経験を…ありがとう」
フレッド「こちらこそ」
翠、フレッド、顔を見合わせて笑う。
○富士河口湖町・フレッドの写真スタジオ
木のぬくもり溢れるスタジオ。
教室の一室から、子供の笑い声と、フレッドの快活な声が聞こえる。
スタジオの壁に、翠のボルダリング中の写真が飾られている。
写真のタイトル『グランプリ・イズ』
~完~