20枚シナリオ『卒業』
『ワスレナグサ』
☆人物
里中 瑛美(48)保育士
里中 新(46)瑛美の夫
里中 咲(18)瑛美の娘
里中 保(15)瑛美の息子
藤木 淑子(69)認知症患者
藤木 利恵(44)淑子の娘
植田 吾郎(55)集いの会主催者
田辺 ゆう(28)瑛美の同僚
江藤 由香里(35)瑛美の同僚
野原 小夏(30)保育園の利用者
野原 雅弥(3)園児
○保育園・園庭(朝)
保育園の玄関先で、野原小夏(30)と泣きすがる野原雅弥(3)。
里中瑛美(48)が出てきて、雅弥を抱きあげ、小夏から荷物を受け取る。
瑛美「いってらっしゃーい。まあ君、お友達待ってるからね」
雅弥を横目に急いで仕事に向かう小夏。
瑛美は雅弥と保育室に向かう。
○保育園・保育室内
園児たちが昼寝をしている。
瑛美、田辺ゆう(28)、江藤由香里(35)は事務作業をしている。
ゆう「あれ、ゆう君の連絡帳がない…」
瑛美「あ、もらうの忘れちゃった」
由香里「瑛美さん、最近物忘れ多いけど、大丈夫?」
瑛美「下のこと上の子が受験生で家が大変なのよ。とはいえ、忘れちゃだめだけど」
由香里「シフト調整しますか?」
瑛美「大丈夫よー子供たちの笑顔見てたら元気になっちゃうから」
瑛美、連絡帳の日付の欄に書き込もうとして黙り込む。
瑛美「…あれ、今日、何日だっけ…」
○里中家・リビング(夜)
里中新(46)、瑛美、里中咲(18)、里中保(15)が夕食を食べてい
る。
咲「ママ、そこにあった願書どこにしまった?明後日までに出さなきゃなんだけど」
瑛美「え…知らないわよ」
咲「知らないわけないじゃん、大事なものだから目立つとこに置いておこうってそこ
に」
保「そういうことはもう自分でしなきゃ」
咲「えらそーな口たたくな、ボケ」
瑛美「ごめんね。探しておく」
咲「最近ママよく忘れるよね、病院とかいかなくて平気?」
瑛美「毎日幼児たちに会って元気にお世話してるんだから、健康そのものよ」
新「…病院、念のために行ったら?」
瑛美「え、そんなに忘れてる?」
新「…この味噌汁、味噌が入ってないぞ…」
保「新しい減塩料理なのかと思ってた」
新は心配そうに瑛美を見る。
○保育園・園庭(朝)
里中と由香里が立って話している。
里中「本人は…まだ働きたい気持ちがあるようなのですが…とても…」
由香里「今はおうちで療養中なんですか?」
里中「下手に外出させると…迷子になるんです。何度も警察や近所の方にお世話
に…」
保育園の玄関の奥で、二人が話しているのを覗いている雅弥。
○里中家・台所
メモ帳に具体的な指示が書かれており、至るところに貼られている。
咲がメモ帳に何かを書き、冷蔵庫に張り付ける。
保が台所に顔を覘かせる。
保「…ねえ、ママは?」
咲「パパと『集いの会』だって」
保「…大丈夫かな…ああ、久々にオムライスが食べたい」
咲「贅沢言うな」
○市民センター・セミナールーム
植田吾郎(55)の周りに、円になった椅子に患者が座っている。患者の家
族はその周りの椅子に座っている。
瑛美は下を向いて、ハンカチを握っている。
瑛美の隣に座る藤木淑子(69)は、瑛美のほうを向く。
淑子「大丈夫よ。ここはあなたと同じような人しかいないから。リラックスしてね」
瑛美「あ…はい」
植田「本日は集いの会にお集まりいただき、ありがとうございます。では早速です
が、ご家族様はこちらに…」
里中は瑛美のほうを心配そうに見ながら部屋を出る。
藤木利恵(44)は淑子の肩をぽんと叩く。
利恵「おかあさん、あんまり仕切りすぎちゃだめよ」
淑子「そんなことしないわよっ」
植田は患者たちに向き合って話し出す。
植田「さあ…まずは自己紹介からにしましょうか」
○同・喫茶店(夕方)
淑子と瑛美が向かい合ってコーヒーを飲んでいる。
淑子「瑛美さんは若いうちから…辛いわね」
瑛美「…あまりに突然で…」
淑子「私はね、孫も抱いたし、いつ死んだっていいくらいだけど…」
瑛美「…毎日…足りなくなっていくんです、生活をするための基本的なことが、些細
なことが分からなくなって…」
淑子「私は、大事な娘を傷つけていて、しかも、それを覚えていなくて。別の自分が
いるみたいよ。自分が自分でなくなっていく」
瑛美「…これから認知症は高齢者の5人に1人がなるってニュースで言っていまし
た。いずれ家族で背負いきれなくなるのでしょうね…」
淑子「私ね、最近思うの。本当の本当にすべてを忘れてしまう前に、ちゃんとお別れ
を、頑張ってきたこと、覚えているものに卒業をしたいって。この集いでね」
瑛美「卒業…何からのですか…」
淑子「なんだろう…私自身かな。…旅館の女将としての毅然とした私か
ら…」
瑛美「長年保育士をしてきたのに、今では子供たちの名前もろくに思い出せない…子
供たちに歌った童謡を歌ったりリハビリはしていますが…」
淑子「諦めてはだめよ…だって、あなたの家族はあなたに覚えていて欲しいんだも
の」
瑛美「でも…私はいつか全てを忘れてしまいます」
淑子「…そう、だからこそ、卒業しておかなくちゃいけないのよ」
○葬儀場
葬儀場から傘を差しながら、会場の外に流れ出ていく黒服の人たち。
その中に、里中と瑛美の姿。
利恵が二人を追いかけてくる。
利恵「わざわざありがとうございました」
里中「いえ。瑛美が世話になりましたから」
瑛美は里中のほうを見て、きょとんとする。
利恵「瑛美さん、今日はあいにくの天気の中、ありがとうございました」
瑛美「いえ…主人のお知り合いと聞いて」
利恵「そうですね…」
里中と利恵は目を合わせる。
利恵「あの、これ、母からです」
利恵は里中にDVDのディスクを渡す。
里中「…ありがとうございます」
利恵「ずっと私も母もしんどかった。…これを見ると何故だか…母が愛おしくて」
涙ぐむ利恵に、瑛美はすっとハンカチを差し出す。
瑛美「仲の良い母娘でいらしたんですね」
○里中家・リビング(深夜)
暗闇の中、テレビの明かりが瑛美の顔を照らす。近くで瑛美を見守る里中。
テレビの画面には、集いでの淑子の卒業式の様子が流れている。
淑子「明日には私でなくなるかもしれない、だから、今日私は私を卒業します」
瑛美は微動だせず、画面を見つめる。
淑子「私が私を失っても、傍にいてくれるだろう家族に、利恵に最大の感謝を伝えた
い」
瑛美の目から涙がこぼれる。
里中は瑛美の肩にそっと手を置く。
○道
新緑の中、瑛美と里中、咲、保が歩いている。
向いから、小夏と雅弥が手を繋いで歩いてくる。
雅弥「あ!えーみせんせ!」
瑛美「……」
里中「あ…えっと…」
瑛美は屈み、雅弥の顔をじっと見る。
瑛美「…まあ君」
里中、咲、保はびっくりする。
雅弥「せんせ、ぼく、もうランドセルなの」
瑛美「大きくなったのね。おにいさんね」
瑛美はそっと雅弥を抱きしめる。
小夏「…まあくん、いこっか。先生、また」
瑛美「はい、さようなら」
雅弥は瑛美に手を振りながら去る。
里中「瑛美…」
咲「ママ…覚えてるの?」
瑛美「…咲、保。…新でしょ」
咲「…名前…間違ってない…」
瑛美「間違わないわよ、もう。さあ、帰ってお夕飯にしましょう。特製オムライス」
保「お、俺、大盛りで!」
里中「…俺はなんもいらない。これ以上は…」
里中の目から涙がこぼれる。
瑛美「…忘れないうちに、帰りましょう」
瑛美はにっこりと笑って見せる。
里中は瑛美の手を握る。
里中「…俺たちが代わりに全部覚えてるから…安心していいよ」
瑛美、咲、保、家に向かって肩を並べて歩いていく。