シナリオ☆おひとり雑技団

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短編小説☆ ミミズの絵馬

深大寺恋愛小説向けに書いたものです。深大寺に行ってないのに書いたので、やはり取材って必要だなと痛感しながら、、、、お友達のシナリオライターさんのアイデアをかなり頂いて原作からかなり変えました☆

 

 

『ミミズの絵馬』

 

 

「白くて丸いカメを見た!」

 目を輝かせた康平が、私の手をひいて連れて来たのは、深大寺境内の五大尊池だった。

「あそこには、鯉しかいないって」

「本当だって。見せてやるから」

 私達は10歳で、男とか女とかの意識もなく、野山を駆けずり回って遊んでいた。私の手を握る康平の手がやけに汗ばんでいた。

 池に着き、私と康平は池の中を覗き込んだ。池の水面に映っているのは、間抜けな顔をした少女と少年だった。

「あっ、カメ!」

「えっ?」

 目を凝らしてよく見ると、それはカメではなく、白くて真ん丸とした月だった。

「どう間違えたらカメになるのよ」

「本当だって! ここでカメを見たんだから。一番にお前に教えたくて連れてきたのに」

 康平は鼻の頭を指先でこすり、私のほうを見て、照れたように笑った。

 

 

「いらっしゃい」

 私は行き着けの文房具屋に居る――ここは康平の実家だ。丸の内の大手企業に就職して一人暮らしをしていた康平が、ふらっと戻ってきたのは最近のことだ。今、私の目の前で、20年前からまったく変わらない、呑気な笑顔を見せている。

「もうすぐ、結婚するんだって?」

「げっ、誰情報よ」

「お前のおばさん経由、俺の親父」

「本当、プライバシーの欠片もないよね」

「いいじゃん。おめでと~」

 康平はボールペン売り場を指差す。

「お前のお気に入りのやつ、新作入ってる」

「ありがと。さすが分かってる~」

「るせえ。これ、試し書きに使えば?」

 私は康平から紙を受け取り、紙の上にボールペンをさらさらと走らせた。

「相変わらず、汚ねえ字書いてるんだろ」

「個性的って言ってくれる?」

 私の悪字は、通信教育のボールペン字講座でも直らない。ミミズが躍り狂ったような字だ。婚約者の宣彦にも、「もう少し女らしくしたら?」と、常日頃言われている。

(どうせ、字も料理も下手な花嫁よ)

「それ、お買い上げになります?」

「お客さん少ないみたいだし、ね」

「いつ潰れるか、ヒヤヒヤするよ」

 ボールペンをカウンターに持っていくと、康平が丁寧に包装してくれる。

「……幸せになれよ」

 康平がスツールから立ち上がり、包装されたボールペンを私に差し出す。私よりも背が20センチ以上は高くて、上目遣いになる。

(身長を抜かれたのは中学の時だったかな。童顔は変わらないけど、ちょっと男っぽくなった気もしなくもない、かな)

「康平は彼女いないの? 会社の後輩、紹介するよ。私と違って、お料理上手な子がいるからさ。試しに、合コンする?」

 康平の目に少しだけ悲しげな色が浮かんだように見えたが、気のせいだろう。

「俺のことはいいんだよ、バカ」

 私は康平に軽く頭をこずかれて、店を出た。

 

 

 あれから2週間が経った。人は困り果てると神頼みする。私もその1人で、今、深大寺の外門をくぐったところだ。

(私のことを本当に好きになってくれる人はいつ現れるんだろう。どこにいるんだろう。それくらい、教えてくれたらいいのに)

 絵馬の掛けられている所に歩を進めると、安産祈願、合格祈願など、思い思いの字で願い事が書き綴られている。何気なく見ていた私は、思わぬ地雷を踏んでしまった。

 元婚約者の宣彦の名前と見知らぬ女性の名前、そして、「彼と幸せになれますように」と3ヶ月前の日付が添えられた絵馬を見た。

(……誰……? 何なの、これ)

 一昨日、私は宣彦から婚約破棄を言い渡されたばかりだ。

 宣彦と結婚式場を見に行き、教会の下見をしていた時のことだった。私の目を見ることなく、宣彦は悪びれもなく私を振ったのだ。

「やっぱり無理だ。君じゃない気がする」

「やっぱりって……何なの?」

「仕方ないだろ。だって、好きな人が出来ちゃったんだから」 

 フラッシュバックに、目の前が真っ暗になり、私はその場にうずくまる。頭がガンガンと痛み、目を瞑る。だが、この現実はどこにも吹き飛ばず、私の目の前に居て、困った顔をして立っている。

 私は、絵馬に願いを書く所に戻り、荒々しく願いごとを書き綴る。自分の恨み辛みを詰め込んだ禍々しい絵馬を、宣彦とその彼女の絵馬の隣にかけ、手を合わせて目をつぶる。

(どうか、彼らが幸せになりませんように)

 

 

 宣彦の両親から、婚約破棄の謝罪と慰謝料の打診があったのは、その数日後のこと。

 母は、「宣彦さんと話をさせろ」と向こうの両親に怒り狂っていたが、両親の平謝りに根負けして、口を噤んだ。私は母に頼み込む。

「大げさにしないで。お願いだから」

 早く忘れたい私にとっては、母のすることは、傷を更に大きくする二次被害だった。

「悔しくないの? 女の良い頃を全部宣彦さんに捧げてきたのに。こんな目にあって!」

「私が悪いの。女らしくなくて振られたし」

「そんなこと言われたの?!」

 何を言っても、母の怒りは収まらない。それが逆に私の心を少し静かにさせた。

 

 

 私は会社を休み、2泊3日の小旅に出かけることにした。心配した母がついてきて、

「どっかで飛び降り自殺でもしそうな顔してるから。絶対ついていくからね」

 と言った。おかげで、少し気持ちも落ち着き、私はいつもの生活に戻った。

 

 

 久々に会社に出勤したので、私は一心不乱に働くことにした。失恋を忘れるには忙しくするしかない。頭の中には、あの絵馬のことがあった。

(勢いに任せて書いてしまったけど、人に見せられるものじゃない。片付けにいこう)

 

 仕事の帰り、私は深大寺に出向き、絵馬のかけられている所へ急いだ。夏の夜らしく、日が長いため、自分の絵馬も探し易そうだ。

(あれ……ここにかけておいたんだけど)

 絵馬の位置が変えられているかもと、必死に探していると、私に声をかける人がいる。

「探し物は見つかった?」

 振り返ると、康平が立っている。

「ここで、何してんのよ」

 やましいことがあると、人は逆切れする。

「これ、だろ。お前が探してるの」

 康平は肩から提げている鞄から、絵馬を取り出して、私に差し出す。どう見ても、絵馬のミミズ文字は私が書いたものだ。

「どうして康平が持ってんのよ。あ、おじさんから聞いた? こんな絵馬書いて、だせぇって笑いにきたの? バカにするなら、しなさいよ。30前で振られた惨めな私のこと」

 康平にまくし立てながら、私の目から涙が溢れていく。宣彦に振られた日から、何故か泣けなかった。悲しみという感情にまで行き着いていなかったことに今更、気がつく。

「本当、お前はバカだよな」

 康平はズボンの尻ポケットからハンカチを取り出すと、私の顔に押し付ける。そして、絵馬のかけられているところに歩いていく。

「ば、バカだけど、こんなの書いちゃってダメだなって思ったから取りに来たのよ。なのに、アンタが私の絵馬を持って帰ったりしてるから。本当に恥ずかしい! バカ!」

「怒るか、泣くか、はっきりしろよな」

 康平が呆れた顔をして振り返る。康平の手の中に、ひとつの絵馬がある。

「何、それ」

「……これ、俺がちょっと前に書いてたやつ、お前にやるよ」

 康平が絵馬を私に差し出した。

「……俺が何のためにこっちに戻ってきたか、お前、分かんない?」

「え?」

 康平が書いた絵馬にあったのは、康平の、変わらない字と私への優しい思いだった。

「池に浮かぶ月のように、好きな人の幸せを優しく見守れますように……って?」

 私の問いかけに康平は視線を外す。2人の間に沈黙が訪れ、木々のざわめきや葉の掠れる音が、耳の中に響いてきた。

 康平は私に向き直り、昔見せた、照れたような、それでいて、怒ったような顔で、

「半年前、俺がこっちに戻ってきたのは、お前が彼氏と微妙だって悩んでたからで。近くにいてやれたらなって思ったからであって」

「あ、思い出した」

「おそっ」

「違うの。もっと前のこと。この池で、康平がカメを見せてやるって連れてきてくれた時のこと。あの時も康平は私を喜ばせようとして、ここに……」

 私は康平に引き寄せられて、強く抱きしめられる。康平の胸の、子どもの様な心臓の早さに私は思わず、噴き出す。康平は更にぎゅっと私を抱きしめる。懐かしくて、愛おしくて、私の頬を暖かい涙がすべり落ちていく。私の唇に康平の唇がそっと触れた。

 

 

 池の水面に浮かぶ白い月が、風にそよぎ、ゆらゆら揺れる。私達はそれを眺める。

「あれ、やっぱりカメだったと思うな」

「月、でしょ、どう見ても」

「でも、カメのほうがめでたいだろ?」 

 私のミミズ文字の絵馬の上にかけられた、不器用で、でも優しい康平の字が書かれた絵馬が、カランと明るい音をたてて笑った。